2009年5月3日日曜日

地方自治が試される。

今日は、tvで中田宏横浜市長が出演していた。
話題は、新型インフルエンザ対策についてであった。

この中で、新型インフルエンザ対策は、「地方自治が試されている」旨の発言があった。
1996年にsarsが流行したときも、横浜市は、ワールドカップの中止を決めたという。
そこには、「感染してからは遅い」という判断があったという。

国のガイドラインやマニュアルだけでは、わからない部分があると中田氏はいう。
これから、日本でも新型インフルエンザの感染者が出ると予測される。

「地方自治が試される」という言葉を重く受け止め、自治体関係者は、判断を間違えぬよう、冷静に事を運んでいかなければならないだろう。

自分で奇跡を起こす方法

昨日は、「自分で奇跡を起こす方法」井上裕之著(フォレスト出版)を読んだ。
浅めの本で、読みやすかった。

この中で、井上氏は、奥さんの事故をきっかけに自己啓発の勉強を始めたと書かれている。
彼は、ナポレオンヒル著「思考は現実化する」に助けられ、良くても植物人間といわれた奥さんを見事に信念で立ち直らせ、自身もニューヨーク大学に留学するなど、信念の持ち主である。

また、彼は、私も好きなピータードラッカーにも触れている。これからの時代、マネジメントできない組織は衰退する一途であろう。

最後に出てくる詩も素敵だが、「中途半端な気持ちで何かが実現したことはありますか」という読者への投げかけは強烈だ。

ぜひ、機会があれば、一度お会いしたい人だと思った。

これからも奥様とお幸せに!

地方分権を想う。

先日、宮崎県の東国原知事と大阪府の橋本知事、そして、地方分権改革の本部長である丹羽氏が出演しているTVをみた。

両知事は、タレント知事として注目されがちであるが、私の見方は違う。一時の三重県の北川知事を彷彿させるような躍進ぶりである。これは、「改革」というよりも、「市民主権」という考えに近いからであろう。

橋本知事は、自分たちの方が「住民」が見えているとした。確かに、国主導では、国から県、そして市町村、住民という順番になろう。一方、地方分権型社会では、住民から市町村、県、そして国が補えない部分をカバーするといった構成になる。

国は、「国民」という言葉をよく使う。しかし、はじめに「住民」があって「国民」となる。

権限移譲と財政的なことは、本来、一体で議論されなければならない。確かに、高度成長期においては、国主導の行政運営が効果を発揮してきた。これは、認めなければならない。

高度成長期を終え、成熟期に入った我が国は、少子高齢化など多くの社会的構造問題を抱える。
また、中谷巌氏のベストセラーのとおり、「資本主義の自壊」というアプローチも必要になろう。

東国原知事が言ったとおり、日本は縦に長く、北海道から沖縄まで、様々な風土、風習が存在する。その地方地方にあった政策をいかに実現していくのか、また、効率よい財政運営をしていくのか。
「住民から委ねられた血税を、住民が満足いくサービスの提供をしていく」という、企業で言うところのCS(顧客満足)を追求してこそ、これからの行政運営の本質というべきものではないだろうか。

この両知事の今後の活躍が益々目から離せなくなったと思う、今日このごろである。