2009年5月3日日曜日

地方分権を想う。

先日、宮崎県の東国原知事と大阪府の橋本知事、そして、地方分権改革の本部長である丹羽氏が出演しているTVをみた。

両知事は、タレント知事として注目されがちであるが、私の見方は違う。一時の三重県の北川知事を彷彿させるような躍進ぶりである。これは、「改革」というよりも、「市民主権」という考えに近いからであろう。

橋本知事は、自分たちの方が「住民」が見えているとした。確かに、国主導では、国から県、そして市町村、住民という順番になろう。一方、地方分権型社会では、住民から市町村、県、そして国が補えない部分をカバーするといった構成になる。

国は、「国民」という言葉をよく使う。しかし、はじめに「住民」があって「国民」となる。

権限移譲と財政的なことは、本来、一体で議論されなければならない。確かに、高度成長期においては、国主導の行政運営が効果を発揮してきた。これは、認めなければならない。

高度成長期を終え、成熟期に入った我が国は、少子高齢化など多くの社会的構造問題を抱える。
また、中谷巌氏のベストセラーのとおり、「資本主義の自壊」というアプローチも必要になろう。

東国原知事が言ったとおり、日本は縦に長く、北海道から沖縄まで、様々な風土、風習が存在する。その地方地方にあった政策をいかに実現していくのか、また、効率よい財政運営をしていくのか。
「住民から委ねられた血税を、住民が満足いくサービスの提供をしていく」という、企業で言うところのCS(顧客満足)を追求してこそ、これからの行政運営の本質というべきものではないだろうか。

この両知事の今後の活躍が益々目から離せなくなったと思う、今日このごろである。