2008年9月15日月曜日

日記 引導法語

(事実)
本日、葬儀が行われた。葬儀の後、初七日が行われた。その後に、住職が引導法語として話をした。
(気づき)
住職が奥さんの実家のほうのお葬式に出たとき、戒名などのいきさつを知りたいと思ったが、話がなかったので、残念であった。そのため、自分は、初七日のあとや通夜の後に、戒名などのいきさつを話すことを思いついた。
やはり、なぜ、その戒名になったのかなどは、気になるところであろう。それは、他の仕事(特にサービス)にも通じる。
(教訓)
リッツカールトンのサービスの極意も昔、本で読んだ。本日の引導法語と相通ずるところは、「相手の気持ち」になって、物事を考えることであろう。
(宣言)
そのサービスがなくても、仕事を終えることがある。しかし、相手の気持ちに立って施したサービスは、相手の心に留まる。相手の心にとどまれば、また、相手は、こちらに関心を持ってくれる。ということを常に念頭においておこう。


参考
平成20年9月15日 引導法話

板嶺の雲は晴して久しく清く
低竹長松法を説かんとしきりなり
百二年の光陰皆夢境
清光水に和して明に向かって帰る
(中略)
九秋の皓月は空に映り照らし
一片の白雲は板嶺より来る。
(おばあさんに読んだうた。一人ひとりにこのような引導法語をまとめ、紙にして参列者に渡している)

昨日は、中秋の名月で、本日は、敬老の日。清々しい秋の日におばあさんは、旅立っていった。
そのような日に旅立てるのは、生前、おばあさんが皆に優しさを分け与えてくれたからであろう。

心より、ご冥福申し上げます。また、感謝してもしつくせぬほど、あなたには感謝しています。
本当にありがとうございました。